商品情報にスキップ
1 1

春ねむり HARU NEMURI

HARU NEMURI - "春火燎原 SHUNKA RYOUGEN" CD

HARU NEMURI - "春火燎原 SHUNKA RYOUGEN" CD

通常価格 ¥3,300 JPY
通常価格 セール価格 ¥3,300 JPY
セール 売り切れ
税込。

Artist: 春ねむり HARU NEMURI
Title: 春火燎原 SHUNKA RYOUGEN
Release: 2023.07.01 (Digital: 2022.04.22)
21 TRACKS - Label: TO3S RECORDS / TO3S-0027

紙ジャケット仕様(135mm)

Tracklist:
01.sanctum sanctorum 01:43
02.Déconstruction 03:47
03.あなたを離さないで / Never Let You Go 04:16
04.ゆめをみている (déconstructed) / Yume Wo Miteiru (déconstructed) 03:10
05.zzz #sn1572 01:36
06.春火燎原 / Shunka Ryougen 04:36
07.セブンス・ヘブン / Seventh Heaven 03:48
08.パンドーラー / Pandora 03:04
09.iconostasis 01:35
10.シスター with Sisters / Sister with Sisters 02:56
11.そうぞうする / Souzou Suru 03:00
12.Bang 03:19
13.Heart of Gold 02:16
14.春雷 / Shunrai 03:39
15.zzz #arabesque 01:40
16.Old Fashioned 03:22
17.森が燃えているのは / Who the fuck is burning the forest? 02:49
18.Kick in the World (déconstructed) 03:08
19.祈りだけがある / Inori Dake Ga Aru 03:31
20.生きる / Ikiru 04:01
21.omega et alpha 01:02
Total: 62:18


作品情報
春ねむりのセカンドフルアルバム春火燎原(読み:シュンカリョウゲン) がリリース。トレンドから逸脱し全21曲収録の大作となった今作は、サウンドをアップデートし続け、常に挑戦的な脱構築を行う春ねむりが提示する“世界で通用する20年代のジェイポップここに極まれり”な一枚。ファーストフルアルバム『春と修羅』(2018) は圧倒的高評価を受け傑作となり、アメリカ最大の音楽評価サイト Rate Your Music, Album of The Year では、それぞれ世界上位にランクイン。以降、世界中で多くのリスナーを増やし「SXSW Online」や「Midem」、「Live on KEXP」といった数々の海外著名イベントへの出演も果たした。3月より開始するキャリア初の北米ツアーは既にニューヨーク公演、ロサンゼルス公演、シカゴ公演、サンフランシスコ公演が続々ソールドアウトするなど、この数年間で彼女のグローバルな評価は加速度的に高まっている。活躍の場を国外へ広げるなかで、よりいっそう伝達のスピードを速めた言葉と音は作品毎に先鋭化。バラエティ豊かな新曲や未発表曲も多数収録された今作も、全楽曲の作詞/作曲/編曲を自身が手がけ唯一無二の作家性を確立。過去作と比較し、より強靭で攻撃的なビートのプログレッシブサウンドで構築されている春火燎原は、世界への進撃を予感させ大地を震わすような「Déconstruction」の壮大な幕開けで始まる。同曲はノルウェーの新世代歌姫「AURORA」を手掛けるプロデューサー・デュオ「MyRiot」をCo-Producerとして迎え制作を行ったキラーチューン。映画「猿楽町で会いましょう」の主題歌として描き下ろした「セブンス・ヘブン」では、映画中のセリフをサンプリングするなどフレキシブルな創造性を披露。必死なのに詩的で寂しい、得も言われぬ空気を創生した作品となった。パンキッシュなサウンドが猛烈に脈動する「春雷」は、瑞々しさと苛烈さで以て駆け抜けるその4分弱で、ラブソングの新しい在り方を切実に表現している。春ねむりの持ち味を生かした、メロディーを極限まで排することで言葉のまっすぐなスピードを獲得した語り口と、起伏の激しい感情の波立ちや初期衝動のうねりに同期するような歪んだロック・サウンドは、目覚めの季節としての鮮烈な春の到来を感じさせる。そして、命の営みの連鎖を表現し、アルバムを締めくくる「生きる」は、谷川俊太郎の文学作品「生きる」を一部曲中で朗読し、本人より直接の許諾を得て制作をした入魂の1曲。谷川俊太郎から不可思議/wonderboyへと続くポエトリーリーディングの系譜を引き継ぎつつも、朗読をより「うた」に近づけポップスのフィールドへ落とし込んだ。春ねむりのオリジナリティを突き詰めた、春ねむりにしか創ることのできない、この時代に贈る普遍的な生命のアンセム。その他にも、オリジナルアルバム未収録のシングル曲「Kick in the World」の脱構築バージョンや、シスターフッドをテーマとし国内外より多数のゲストコーラスが参加している「シスター with Sisters」といった、多様な角度から自身の表現メソッドを広げる試みも興味深い。アルバム全体を通し和声の美しさを追求した彼女のヴォーカルが生かされたプロダクションになっており、賛美歌とレクイエムの合わせ聴きのようなサウンドデザインには神聖な雰囲気が漂う。全曲のトラックプロデュースを自ら手掛けることで純度を高めたその表現は、タイトルトラック「春火燎原」を中心に「燃える」「生きる/死ぬ」と言った言葉が数多く配され60分間全体で「気高い魂の在り方」という心象風景を構築。間奏曲的に挿入されるトラック/朗読による3曲のインタールードが楽曲間を綺麗に橋渡しをし、大作でありながらも一連の音楽になるよう成立させ、オープニングとエンディングを繋ぎ合わせることで延々繰り返される生と死をこの作品一枚で表現する見事な作り。ジャケットアートワークは、今作のテーマである春火燎原という造語の持つコンセプトを表現。繊細かつ力強い衣装を纏った春ねむりの、凛とした強さと青く燃えたぎる決意を感じさせるアートワークに仕上がっている。


生きる SELF LINER NOTES
2020年11月16日未明、渋谷区幡ヶ谷のバス停でホームレスの60代女性が頭を殴られて死亡した事件が起こった。容疑者の男性はその5日後に逮捕され、「痛い思いをさせれば、いなくなると思った」と語ったという。当時、わたしはそのバス停から徒歩10秒のマンションに住んでいて、夕方になって目覚め、事件が起こったことを知った。自分の家のこんなに近くで人が殺されたということにとても驚き、同時に、こんなに近くに居たのに彼女の存在を知らなかったということにとても慄いた。

それから数ヶ月経ってわたしは引っ越しをし、東京を出た。新型コロナウイルスのパンデミックによって仕事以外で家から出なくなったわたしには、東京は最悪の街だったからだ。数少ない友人と会ったりライブに行く機会がなくなると、基本的に人が苦手なこともあり、アクセスの良さはあまり価値がない物差しになったし、発展しすぎた都市での生活はストレス以外のなにものでもなかったのである。引越し先は中核市ではあるものの、人や店が密集している駅付近からそこそこ離れている場所にある一軒家に住むことにしたため、普段はほとんど人の気配を感じずに済むし、夜はとても静かで、かつそこまで不便でもない。住み始めて1年ほど経つが、わたしはいまの暮らしがとても気に入っている。

さて、引っ越してすぐ、わたしは近所で1匹の野良猫と出会った。黄色っぽい毛並みのところどころが禿げていて、瞳は目脂で溢れているし、鼻がぐずぐず鳴っている。何かしらを患っているであろうその猫は、彼を発見して立ち止まったわたしに向かってにゃあと鳴き、思わず座ってその身体を撫でると、わたしの足の間に入って気持ちよさそうに眠った。明らかに人の元で飼われていたであろう人懐っこさで、すっかり心を掴まれてしまったわたしは、用事のない日はいつも彼の寝ているところへ行き、大半の時間を一緒に過ごした。わたしの家にはその当時モルモットが2匹居たので、彼を家で飼うことも難しいし、かといって見なかったことにもできず、ひとまず病院へ連れて行けばよいのだろうか、次の給料日が来たら、などと逡巡しながら1週間と少しが経った頃、彼は突然姿を消した。他の寝床を見つけたのか、誰かに連れていかれたのか、それとも死んでしまったのかーーしばらくはふとした瞬間に彼のことが浮かんできて、思慮にふけって抜け出すことができなくなることも多かったものだ。

彼が居なくなってから1ヶ月半ほど後、わたしは彼と再会する。初めて出会った我が家の近所からはだいぶ離れた駐車場に彼が居て、その近くで居酒屋を営んでいる女性によって、地域猫として世話をされているところにたまたま行き合ったのである。その女性に聞いたところによると、彼がその駐車場に姿を現したのは我が家の近くから姿を消した時期とちょうど同じくらいということ、自分の足でここまで来るのは無理だろうから誰かに連れてこられたのではないかということ、それ以前はおそらく人に飼われていたか、ブリーダーによって繁殖用の猫として飼育されていたのではないかということ、年齢は不祥であるがおそらくもう相当な老猫であろうこと等を聞いた。それからは、練習のためにスタジオに行く前後や、外出する際にその駐車場へ足を運び、彼を含めたその駐車場で世話をされている猫たちに餌をやったり、遊んだり、ただずっと一緒に居たり、あまりにもありふれていて、それでいて自分にとっては代え難い時間を過ごした。夏の恐ろしいほど暑い日照りも、少し秋めいてきた時の寂しい空気も、冬の厳しすぎる冷たさも、共に過ごしてきたその間に、ところどころが禿げていたその毛もすっかり生え揃い、出会った頃からは考えられないほどふてぶてしい態度を見せるようになった。それがおそらく彼本来の性格なのだろうなと思うと、とても愛おしく、嬉しかった。

冬の間、外はあまりにも冷え込んでいたので、猫たちの集まる駐車場には、持ち主の許可を取って猫用の小屋が設置された。彼は普段から俊敏な動きを全くしない猫だったこともあり、大概はその小屋の中に居て、餌をやる時か、天気のいい昼間に日向ぼっこをする時に外へ出てきたものだった。3月の頭からわたしは北米ツアーをするために家を3週間ほど空ける用事があったので、日本を発つ前いつものように駐車場へ行って、「行ってきます」と「元気でね」とを彼に言って、旅立った。そして、わたしがツアーをしている間に、彼は再び姿を消したのである。駐車場の近所に住んでいる人たちの見たところによると、猫用のキャリーケースを持った老人が、彼の住処だった小屋の前に立っているのを目撃された後、彼は居なくなったそうだ。誰かが彼を気に入って家に連れて帰ってくれたのだろうか、そうであれば喜ばしいことだけれども、と思っていたわたしに、最悪の知らせが来たのは、日本に帰ってきてからだった。

彼を心配した地域猫活動をしている女性が、近所の病院や保健所に連絡をしていたところ、衰弱しきった彼が保健所に居るという連絡を受けたのだ。彼が保護されたのは、いつもの駐車場からは遠く離れた場所で、明らかに人の手によって連れ去られたのだろうと推察された。保健所から彼を引き取り、病院へ連れて行ったところ、おそらく餌や水もろくに与えられていないまま放置されたのだろう、と言われ、そのせいで彼が元々持っていた病気のあらゆる症状が身体に現れている状態だった。彼をこれ以上外で世話することはできない、と判断したわたしたちは、ひとまず時間のある者が室内で彼の面倒を見ることにし、この衰弱しきった状態を抜け出すことができたら、その女性の家で飼うことを検討しようと話し合った。朝一番に病院へ向かい、点滴を打ち、誰か時間のある者が家に連れ帰って彼の面倒を見るーーモルモットの居る部屋と完全に分かたれた部屋でわたしも彼を預かったーーそんな日が数日続いた朝、その女性から連絡があった。

その日わたしは午後から東京でライブ映像を収録する予定があって、目覚めてすぐ彼女から「彼の様子が急変していてもう長くないと思う」「家を出る前に彼に会えないか」というLINEがきていることに気がつき、動揺しながら彼の居る場所へ向かった。彼はもうぐったりとしていて、水も飲むことができず、ひと目見て「これが最期だ」と悟らずには居られなかった。その小さな身体から熱が失われていくのを感じながら、今日に限って乗らなければならない電車があることがとても苦しくて、かといって全てを放棄することもできず、呼吸の完全に止まった彼に別れを言って、泣きながら支度をした。電車が東京へ着く頃にはまだその喪失にあまりにも実感がわかず、どこかふわふわとして亡霊のような心持ちだったように思う。思い出すのは、初めて彼と出会った時のこと、瑣末で、しかしわたしにとっては大切な共に過ごした時間のこと、つい前日まで生きようとしていたその身体の熱、そして、引っ越す前に家の近くで殴打され殺されたホームレスの女性のことーー。

誰が彼を連れ去ったのだろう。何の目的があってそんなことをしたのだろう。それをしたことによって何が起こるか、想像しなかったのか。彼のことが嫌いだったのか。それともその人の中に満たされない何かがあって、八つ当たりのように暴力を振るわれたのか。「痛い思いをさせれば、いなくなると思った」のだろうか。生まれてきて死ぬ。ただそれだけの過程で、生命や尊厳を奪われ傷つけられることなんて、ほんとうはあってはならないのに。野良猫1匹が、家のない人間1人が、ただそこに居る。そんな些細なことすらこの世界が許さないというのなら、世界ごとわたしは要らないのに。

彼が死んだその日、ライブでわたしは「生きる」という楽曲を初めて演奏した。「How beautiful life is!(いのちはなんてうつくしいのだろう!)」と歌いながら、どうしてもいまはそう思うことができないという気持ちと、そう思えた瞬間のことを信じたいのにという気持ちで、こころの中はしっちゃかめっちゃかに荒れていたし、泣いてはいけないと思えば思うほど涙が溢れてきて、あまり冷静には歌えなかった。全てを壊したい、何もかもを諦めたい、この場所からいますぐ消えてなくなりたいーーなのに、音楽はいつもただそこに在って、ただそこに在るということの悠然としたうつくしさで、わたしを繋ぎ止める。これから先、他者や世界への憎しみに満ちる日も、生きる喜びに溢れる日も、わたしの側には常にこの曲が在るだろう。それが呪いのごとく絡みつくように感じられる時も、祝福のごとく降り注ぐように感じられる時も、この曲はただ変わらずにそこに在る。


詳細を表示する