春ねむり HARU NEMURI
春ねむり - "ekkolaptómenos" CD(初回プレス分)
春ねむり - "ekkolaptómenos" CD(初回プレス分)
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Artist: 春ねむり HARU NEMURI
Title: ekkolaptómenos
Release: 2025.08.01
11 TRACKS - Label: ekkolaptómenos / EKKO-005
紙ジャケット仕様
Tracklist:
01.anointment 03:48
02.haven 03:32
03.panopticon 03:12
04.supernova 03:04
05.terrain vague 03:28
06.excivitas 04:35
07.cosmic egg 03:20
08.indulgentia 03:06
09.symposium 04:14
10.angelus novus 3:51
11.iconoclasm 4:50
Total: 41:00
作品情報
春ねむりが完全セルフプロデュースで挑んだ本作は、DIYの姿勢を徹底し、音楽/言語/ヴィジュアルすべてをひとつのコンセプトのもとに有機的に結晶させた作品である。
「ekkolaptómenos」が描き出すのは、魂は静止したものではなく、動体であるという事実だ。あらゆるシステムが〈存在〉を任意の枠組みに固着化させようとする一方で、それでも魂はとどまらず変容し続ける。「被害」と「加害」、「祝福」と「呪詛」、「祈り」と「怒り」——二項対立のあいだを漂う言葉たちが、既存の枠組みにひびを入れ、新たなリズムを獲得していく。
SELF LINER NOTES
我々の存在や魂というものは、誰一人として同じ型を持たない。ひとりひとりに差異があり、その差異を状況によって捨象せざるを得ないということが、残念ながら今この世界で生きているということだ。任意の場のルールや法というものは生産効率のためにあらゆる差異を無視する暴力によって成立していて、それは権力の構造を強化し維持するために用いられている。週5日8時間の勤労が「普通」で「一般的」だという状態が、人々の世界や他者、自分自身への無関心やケアの放棄をどれほど引き起こしているかを見れば、それが暴力であるということは明らかだ。
ヴァルター・ベンヤミンは暴力には神的暴力と神話的暴力が存在すると述べた。ベンヤミンによれば、後者は法措定的で法維持的であるのに対し、前者は法を破壊するものである。つまり、後者は構造を固着化し民衆に犠牲を強いるものであるが、前者はその構造そのものを破壊する。この概念に基づき、わたしは前者の暴力を振るうことをこの作品で試みる。固定化されているように見える構造の亀裂を探し、そこへ魂の破片を穿つことによって、<いま・ここ>やそこに存在する<わたし>や<あなた>というものが、実は建築された不動の概念ではなく、絶えざる創造と破壊のうちで変容し続ける———孵化することと孵化させることが同時に起こり続けるような———動態ではないかという問いを提示することを目指す。その問いの先に、人間の存在とはもっと流動的であって、だからこそ我々はより可変性の高い共同体の中でより自由に生きることができるのではないかという議論があり得ると考えていて、わたしは常にその革命の機会を狙っている(春ねむり)
